マインドマップ 思考の整理3 クリティカルシンキング2 東京MindMap教室
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ユリゲラーの超能力
前回の講座の中でご紹介いただいた本「クリティカルシンキング入門篇」が面白かったです。本書の著者はアメリカの心理学者E.BゼックミスタとJ.Eジョンソン それを宮元博章さん他認知心理学がご専門の大学の先生が分かり易く翻訳されています。
クリティカルシンキングという言葉、ちょっと概念が分かりにくいですね。ネットで検索しますと「批判的思考」とか「論理的思考法と正しく考えるための心構え」とかが出てきますが、なんのことだかちょっと分かりにくい。しかし、この「クリティカルシンキング 入門篇」を読みますと、スッキリ分かり易く理解が出来ます。
クリティカルシンキングとは、私なりにこの本から超訳しますと、「人間の認知の仕方を理解した上でモノごとを合理的に判断する思考の態度」です。クリティカルということばを批判的と訳されていることが多いのですが、それだとちょっとずれてしまいます。批判的に考えようということではなく、人間の認知にはいくつかの特徴があるので、そのことを理解しておかないと論理的な判断に結びつきにくい、これがこの本が言っていることです。
ユリゲラーの例が紹介されています。
日本で一大ブームを沸き起こした超能力者です。私が小学生の頃のことですので、ご存知ない方も多いかもしれません。よく手品で演じられる「スプーン曲げ」を超能力として日本ではやらせたのがこのユリゲラーです。当時のユリゲラーの超能力ショーには日本中がド肝を抜かれました。ユリゲラーがスプーンに念を送るとグニャッと曲がり、あろうことかクビのところでポロっと取れたりもしました。イヤー私も驚きました。
その後日本では、スプーン曲げが出来る超能力少年が出現したりしてしばらく超能力ブームが続きました。さらにその後ミスターマリックがハンドパワーとしてやってみせ、そのまたその後ではDIGOがメンタリズムとしてやってみせ、今は手品のグッズとして販売されるにいたりました。今スプーン曲げを超能力といっても誰も信じないのですが、当時は大騒ぎでした。
スプーン曲げ以外にもユリゲラーは色々がやってみせたのですが、もっとも衝撃的だったのが時計を念で動かすという超能力でした。TVディレクターに動かなくなった時計をもってこさせ、それを念の力で再び動き出させたのです。同じようにTVを見ていたお茶の間の人達に動かなくなった時計を探させて念を送ると、時計が動き出した人が続出、TV局に多くの動いたという報告の電話が鳴り響いたのです。私の家では残念ながら動かなくなった時計というものがなかったので、この体験は出来ませんでしたが、実に沢山の方がこの「念で時計が動く」という体験をしました。
これは信じますよね、超能力。実際に時計が動いた人は本当に信じきったのではないでしょうか。
実はこれ、やっぱり手品なんだそうです。このころの時計はネジ巻式の時計ですので、動かなくなったといっても人が持つことで、ネジが少し巻かれたり固くなった油が体温で溶けたりして、動きだすことがままあります。
ここからが面白いところなんですが、そのようにして時計を手にとると再び動きだす確立は、なんと50%を超えるのだそうです。50%が動き出す、普通はそう思いませんよね。無意識にこの確立を低く評価しているので、ユリゲラーが念を送るというタイミングで時計が動きだすと、時計が再び動き出した原因はユリゲラーの超能力だと信じてしまいます。
このように、人間は自分が体験したことは、たとえそれが偶然であろうとも強烈にその因果関係を信じてしまいます。Aという結果はBということが原因だと結びつけ易いのです。ひとたびその因果関係を信じると今度は期待を持ってモノごとを見るようになるので、自ら積極的にそれを信じるべき出来事に注目しその情報を拾い集めていきます。こうして人は超能力を強く信じることになります。
認知のワナ
ユリゲラーの例だと分かり易いのです。今から思えば、これは手品だよね、と思える人が大半です。しかし、私達は本当にこのような「認知の間違い」を犯すことなく、日常的にモノごとを捉えられているのでしょうか?
私達は常に、モノごとの原因と結果を考えようとします。原因と結果を解き明かすことが世の中の仕組みを知り、自分たちの未来を予測することに役立つからです。この因果関係を正しく捉えることが、思考を進めるにあたりまず注意を払うべき点です。
人間の認知にはクセがあります。私たちはモノごとを理解するときに毎回毎回一からものを考えるということはしません。 大量にあふれる情報をそのたびごとに処理しようとすると大変なので、パターンを作って理解しようとします。そしてモノごとに一定の法則性を自分で見出して、これはこういうものだ、と一度解釈してしまうとあまりその理解を変えようとはしません。それが信念となり、新しくモノごとを判断するときの色眼鏡となり思考にバイアスがかかることにもなります。
ユリゲラーの時計の例のように、私たちは事実を間違えて認知することが少なくありません。普通にありえる偶然の一致を確立を誤認した結果、強い因果関係と理解してしまったり、特に目立つ現象に目がいった結果、他にも原因があるのにそれが全てのように錯覚したりします。こういうことがないように注意しましょうよ、まず認知のミスに気をつけて正しくモノごとを捉えることから始めましょう、というのがクリティカルシンキングの主張です。
今一度、自分が認知していることに注意を払うとよいかもしれません。仕事を進めるうえで、原因と結果を正しく捉え損ねるとなかなか良い結果にいたりません。これの言っていることは本当に正しいのだろうか?これへの対処は本当にここが問題なのだろうか?自分の思考にバイアスがかかっていないか、周りの人が言っていることに認知のミスはないのだろうか?
自己の信念をに対して不都合な事柄が起きることを認知の不協和というそうです。人はこれを解消するためにふたつの方向に思考をし得ます。1つは自己欺瞞。自分の信念を変えるのはイヤなので、自分で自分を欺こうとします。イソップの酸っぱいブドウの話です。ブドウをとろうとしたキツネがどうしても手が届かず諦めてしまいました。悔しいので、あのブドウはどうせ酸っぱいのだ、とキツネは吐き捨てた。というお話です。このような考え方ではあまりモノごとを発展させることは難しいでしょう。
もう1つは原因は自分にあるとする自己責任の考え方。自分に責任があるとしたときもし自分の性格に原因があると考えるとあまり救われません。性格は代え難いものなので、どうすることも出来ず、あぁ自分はダメ人間なのだと落ち込んでしまいます。そうではなく自分のとった行動に問題があったのだと考えると発展的にモノごとを考えることが出来ます。もし努力が足りなかったのであれば、もう少し頑張ってみれば良い。もし自分のスキルが足りなかったのであればもっと成長する工夫をすればよい、目標がとても大きすぎたのであれば、もっと小さなところから始めれば良い。
思い込んでいないだろうか?
そう問いかけることが大切なんですね。
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